トヨタ自動車6代目社長 豊田章一郎について解説

投稿日:2023年11月8日 | 最終更新日:2024年3月13日 | Yuki Kobayashi

こんにちは、井口事務所カーライフ+編集担当の小林です。

本記事では、

・トヨタ自動車6代目社長 豊田章一郎氏

についてお伝え出来ればと思います。

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豊田章一郎氏とは

豊田章一郞氏は日本の実業家で、トヨタ自動車の名誉会長であり、多くの経済団体や教育機関で要職を務めた人物です。

彼は、トヨタ自動車の代表取締役社長を務め、日本経済団体連合会の会長も務めました。

また、学校法人トヨタ名古屋整備学園やトヨタ神戸整備学園の理事長としても活動しました。

来歴

章一郞氏は愛知県名古屋市の白壁町で生まれました。

彼の幼少期には、ソニー創業者である盛田昭夫氏が近隣に住んでおり、この縁が後の彼の人生に影響を与えました。

愛知県第一師範学校附属小学校(現在の愛知教育大学附属名古屋小学校)を経て、彼は東京市本郷区曙町(現在の本駒込)に転居し、本郷区立誠之小学校6年に転入しました。

旧制東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)に進学し、その際、父親が多忙で出席できなかった入学式には、当時喜一郞氏宅に下宿していた豊田英二氏が代理で出席しました。

後に彼は赤坂に転居しました。

1942年に旧制府立第一中学校を卒業し、旧制第一高等学校(東京大学教養学部の前身)理科甲類に進学しました。

しかしながら、勤労奉仕の一環として三菱重工業工場や埼玉県での芋掘りに従事することとなりました。

彼は徴兵検査で甲種合格となりましたが、理系の学生だったため徴兵延期となり、1944年に旧制名古屋帝国大学工学部機械科に入学しました。

ここで自動車工学を専門とする小林明教授に師事し、1947年に名古屋大学工学部機械工学科を卒業しました。

名古屋大学在学中には、自動車同好会を設立し、仲間たちとともに中古のダッジ・ブラザーズの車で知多半島などにドライブに出かけるなど、学外での活動も充実させました。

名古屋大学全学同窓会の初代会長も務め、大学内外で彼の影響力は拡大しました。

しかし、戦争の影響で学業が滞り、1947年には父親の勧めで、父の旧制高校・大学の友人である機械工学者の抜山四郎氏が教授を務める東北大学大学院工学研究科に入学しました。

ここで彼は高速液流微粒化の研究を行い、同時に食料不足に対処するために親戚が始めた稚内の水産加工会社のちくわ・かまぼこ工場での作業にも従事しました。

名古屋に戻った後、彼は父親の命令により、住宅事業を始め、トヨタ自動車工業営繕課から独立したユタカプレコン株式会社を設立しました。

その後、彼は豊田コンクリート株式会社の取締役となり、その後監査役にも就任しました。

1955年、名古屋大学で「燃料噴射に関する研究」で工学博士の学位を取得し、その後も名誉博士号をいくつか受けるなど、彼の学問的な成就も注目されました。

父の急逝に伴い、彼はトヨタ自動車工業株式会社に取締役・検査部長として入社し、トヨタ自動車の経営に関与することとなりました。

彼は後に同社の技術担当代表取締役副社長に就任し、国内外での工場視察などを通じて自動車産業における技術と品質に関する重要な役割を果たしました。

1981年にトヨタ自動車販売株式会社の代表取締役社長に就任し、翌年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の「工販合併」で誕生したトヨタ自動車株式会社の初代代表取締役社長にも就任しました。

その後、1992年に代表取締役会長、1999年には取締役名誉会長など、経営のトップとしての役職を歴任しました。

さらに、彼は多くの企業や機関の役職を兼任し、日本の経済や産業に大きな影響を与えました。

彼の経歴には、経済産業省顧問、日本自動車研究所理事長、中央公害対策審議会委員、名古屋グランパスエイトの代表取締役社長、日中投資促進機構会長、ならびに名誉会長としての立場も含まれています。

さらに、彼はトヨタ自動車の経営において、品質管理における功績で知られており、デミング賞を受賞するなど、品質管理分野での卓越した業績を挙げました。

彼はまた、自動車殿堂(米国ミシガン州)にも選出され、その偉大な業績が広く認められました。

彼は2009年に名誉会長としてトヨタ自動車の取締役を退任し、その後の経営を息子の豊田章男氏に引き継ぎました。

彼は長らく自動車業界での指導的な役割を果たし、多くの人々にとって尊敬される存在でした。

その影響力は日本国内外で高く評価され、日本の自動車産業における偉大なリーダーの一人とされています。

豊田章一郞は2023年2月14日に心不全のため、享年97歳で亡くなり、日本国内外で多くの人々に深い哀悼の意が表されました。

 

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