トヨタ自動車7代目社長 豊田達郎について解説

投稿日:2023年11月8日 | 最終更新日:2024年3月13日 | Yuki Kobayashi

こんにちは、井口事務所カーライフ+編集担当の小林です。

本記事では、

・トヨタ自動車7代目社長 豊田達郎氏について

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豊田達郎氏とは

豊田達郎氏(1929年6月1日 – 2017年12月30日)は、日本の実業家で、従三位の位階と勲一等の勲等を持っていました。

彼はニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング社の初代社長、トヨタ自動車株式会社の第2代社長(工販分離前から数えると第7代)、トヨタ自動車株式会社の副会長、および学校法人トヨタ名古屋整備学園の第2代理事長などの役職を歴任しました。

来歴と人物

彼のキャリアの中で際立つ役職には、ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング社の初代社長、トヨタ自動車株式会社の第2代社長(工販分離前から数えると第7代)、そしてトヨタ自動車株式会社の副会長が含まれます。

また、学校法人トヨタ名古屋整備学園の理事長(第2代)としても活動しました。

彼は旧制東京都立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)を卒業し、その中で今井敬とともに学びました。

1945年の東京大空襲の際には、自宅が焼失し、豊田家の位牌を持って脱出するという生涯の重要な出来事がありました。

彼は東京大学工学部機械工学科を卒業し、その後、ニューヨーク大学経営大学院でMBAを取得しました。

1953年には父・喜一郎の没後、トヨタ自動車販売に入社し、その後、1974年に取締役、1980年にトヨタ自動車販売取締役、1982年には工販合併に伴いトヨタ自動車の常務に就任しました。

1984年には、フリーモント準備室長として、トヨタ自動車とゼネラルモーターズの合弁新会社「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング」(NUMMI)を設立し、その社長に就任しました。

その後、トヨタ自動車専務、副社長を経て、1992年に社長に就任し、トヨタ自動車を牽引しました。

彼はトヨタ自動車の発展に多大な貢献をし、その経営手腕とリーダーシップで高く評価されました。

1995年に病気療養のため、取締役副会長となり、さらに取締役相談役(後に非取締役)として企業に携わりました。

病気療養にも関わらず、彼はトヨタ工業大学とシカゴ大学の共同事業である大学院大学の設立に参加し、精力的に活動しました。

豊田達郎は肺炎の合併症により、2017年12月30日に88歳で亡くなりました。

 

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